コラム 22  
アンサング ヒーロー     an unsung hero 
A精神医学 2009年
 マップラバーはアスペルガー症候群の人の特徴なのか?
昨今の精神医学において物議を醸し出しているアスペルガー症候群の人は、全体として言語的能力に優れ、視・空間的能力が劣るとされるが、逆に視・空間的能力に優れるケースも少なくありません。アスペルガー症候群は脳研究とも相俟って精神医学においてはエポックメイキングな位置にあります。
「心の理論」やミラーニューロンがうまく働かないこととか、社会脳と呼ばれる扁桃体や内側前頭前野の働きの低下が仮説として提示されています。相手の視点で考えられず、人との親密な関係を育み難い「社会性の障害」、言葉を文字通りに受け取り、感情が言葉になり難いが故の「コミュニケーションの障害」、そして転導性が低く、一つのことにいつまでも拘り続ける「反復的行動と狭い興味」。これらがアスペルガー症候群の人たちの特徴なのですが、これらは「気質的(器質的)」な特徴と呼ばれるものなのでしょう(気質はこの意味ではかなり器質的な要因を帯びていると定義してもいいのかも知れません)。マップラバーかマップヘイターかという二者択一ではなく、その傾向が極端に行き過ぎてしまったならアスペルガー症候群に含まれてしまうのかも知れません。
ハンス・アスペルガーは、この小論の文脈で言えば、精神医学のアンサング ヒーローであると言えます。1943年米国で精神科医レオン・カナーは、社会性やコミュニケーションそして知能に重い障害を抱えた一群の子どもたちを、「自閉症」と名付けました。ハンス・アスペルガーはその翌年1944年「自閉的精神病質」という論文に、彼の20年に亘る臨床経験をまとめました。アスペルガーの論文に掲げられたケースは、知能や言語能力は保たれていて、カナーの「自閉症」とは異なっていました。しかしアスペルガーの名は知られることなく、、「自閉症」概念はカナーのものに基づいて発展していくことになりました。1981年、自閉症の娘を持つ精神科医ろーな・ウィングがドイツ語のアスペルガー論文を英語圏に紹介したことによって、アスペルガーの名前は世界中に広く知られることとなります。ウィングは「アスペルガー症候群」と名付け、彼女はまた「自閉症スペクトラム」を提唱しました。自閉症を知的障害という縛りを取り払ってスペクトラムとして捉えることによって、自閉症診断が爆発的に多く成されるようになりました。カナータイプの自閉症を中心に据えてはいるものの、様々な広汎性発達障害(ここにアスペルガー症候群もふくまれます)から健康な人たちにも見られる水準まで連続的に含みこむことになりました。専門書、入門書は、アスペルガー症候群とおぼしき有名人を掲げて説明します。ダ・ヴィンチに始まり、発明王エジソンや小説「感情教育」のフローベル、そしてアインシュタインや現代のビル・ゲイツしかり、と。
スペクトラムは便利である一方で、大きな陥穽があります。『世界は分けてもわかない』のテーマでもある筈でした。虹は7色、しかし確かヨーロッパ言語では5色、エスキモーは明るいか暗いかの2色に分けています。その代わりというか、エスキモーは雪を数十種類に分けています。「ミラーの法則」によれば、人間が同時に分けて扱えるものは7プラスマイナス2個(マジックナンバー7)であるようですから、数多く分けても何も始まらないとも言えそうです。因みに日本語にはlegという分類はなく、すべてアシ。「腿はそれが尻でないことを示すために存在している」というジョークもあります。スペクトラムは何ら本質的なことには触れていないのかも知れませんが、理解する上では捨てがたい。さてどうしたものか?

 流れはいつしか「気質」に行き着いてしまいました。ところで、この「気質」論議がわが国の精神医学界では目下大問題となっています。つまりうつ病を巡ったパラダイム・チェンジが生じているのです。2009年私はある精神病理学者を、学会や講演会に足を伸ばし、追いかけていました。彼、内海健さんは双極性感情障害U型の研究をしていて、2008年6月『うつ病の心理ー失われた悲しみの場にー』というモノグラフを上梓しています。テレンバッハの言う「メランコリー親和型」や下田光造の「執着気質」を病前に持っている人がうつ病になり易いという古典的うつ病の病前性格論は、「現代型うつ病」という概念が台頭するにつれて、崩れざるを得なくなっています。彼、内海さんこそがうつ病の現在に一石を投じ、新たなうつ病論を展開しようとする幾多の若き碩学の旗手となっています。彼は、ジャンフランソワ・リオタールの『ポスト・モダンの条件』(1979)から構想を得て、「大きな物語の終焉」が故に「メランコリー型」が完成せずに不全型として成立してしまい、それが「現代型うつ病」の温床になっているという論拠を提示します。本当にそうだろうか? それが私の問いなのです。



 精神医学においては、本来、診断と治療とは不可分のものだった筈です。少なくとも私の学んできた精神医学はそうでした。「人間学的理解」や「哲学的意味」、「心因」や「状況因」、「病前性格」を重要視していた伝統的診断においては、診断過程は同時に治療的要素を含んでいました。しかし米国発の操作的診断基準が主流になるや、診断される主体は症状に寸断されてしまいました。ここに登場したのが「新型」つまり「現代型うつ病」であり、このキメラ的うつ病に対してもう一度「気質論」を持ち込むことで整理しなおそうという動きが起こっている訳です。
しかしこの気質を巡っての論議ははなはだ困難です。そもそも気質論はエルンスト・クレッチマーが『体質と性格』という大著をあらわし、三大精神病の特徴による体質と性格の分類を行ったことに始まります。すなわち、体型が痩せ型の「スキゾ(統合失調)気質」、肥満型の「循環気質」、闘士型の「粘着気質です。これらの性格はそれぞれの病い(統合失調症、躁うつ病そしててんかん)の人特徴を多少とも持っている人を指していて、それが社会生活に多少とも困難を示し始めると「気質」を「病質」と言い換えて使用していました。しかしこれでは「気質」と「性格」、「人格」の区別は截然とはしません。確かに精神医学にはこの三者の厳密な区別はあるのですが、その区別はexperience nearではありません。つまり余り実用的ではないということなのです。そもそも現存最古の性格学は、古代ギリシャのヒポクラテスの唱えた四体液説です。人の体液は「多血質」「粘液質」「黄胆汁質」「黒胆汁質」の四つからなり、それぞれに特徴的な性格特徴があるとするものでした(面白いことにアリストテレスもこの分類に一役買っています)。「多血質」がもっとも強力で明るく外向的、「黒胆汁質(メランコリア)」がもっともひ弱で暗く内向的であり、この「メランコリア」が今もそのまま使用されて精神医学に生き残っています。このようにヒポクラテスの影響は現代の精神医学にも及んでいて、病気を引照基準として性格分類をしている訳なのです。
一方フロイトに始まる精神分析学は人格論として「人格障害」論を展開することによって、ある一つの答えを出しました。メランコリー親和型としてのうつ病の辺縁に位置する「うつ状態」に、人格障害を配することによって一つの解決を示しました。つまり「人格障害」の人たちが、古典的なうつ病とは違った形でうつ病を反応的に生じさせてくるというものでした。それはguilty depressionとは異なっていて、empty depressionなどと命名されていました。人格的な脆弱性を持った人たちが適応に挫折して反応的に抑うつ状態に陥って発症させるうつ病をどう分類するかが、昨今の精神医学のテーマとなっています。
「人格障害」論によってある程度の収まりを得た「うつ病」論は、「気質」という精神医学に固有の概念によってもう一度組みかえられようとしています。なぜなら米国発の分類学には「反応性」という概念はなく、traitsとstatusの区別はつけず5-HT(セロニン)の涸渇によってうつ病は引き起こされるとするもの(確かに起きてしまったら、この両者の区別は困難なものとなります)であり、「反応性」はかろうじて「適応障害」という範疇の中に垣間見られるに過ぎなくなっています。
 私は「反応性」について考えるにどうしてもナルシシズムについて取り上げざるを得ません。つまりnarcissistic pesonalityの人たちが対人関係や職業的関係において受けた傷つき(narcissistic injury)によって、自信を喪失し、絶望し、やる気を失くし、抑うつ状態に陥る「うつ病」についてです。これを「反応性」と言わずに果たして何と名づけたらよいのでしょう。昨今このタイプのうつ病は非常に多くなっています。しかしこのナルシシズムをもた人たちの適応に失敗した反応として生じてきた「うつ病」を、反応という契機を省いた気質論のみで論議できるのでしょうか? 人格-反応-症状という古典的な図式の方が収まりは余程よいように思えるのですが、どうでしょう? 
昨今のうつ病の分類はかくのごとく錯綜としていて、ここに診断分類を明確にするためと双極スペクトラム(Akiskal.H.S)が登場することになります。かくして私はここでもスペクトラムの迷路に嵌りこんでしまうことになりました。生まれと育ちは糾える縄のごとくに絡みあっていることは、以前から力説されてきました。アスペルガー症候群が結局は正常とのスペクトラムを形成するのは、育ちの過程の中で脳が柔軟に変化していく可塑性によっているのでしょう。精神医学的診断にはスペクトラム診断がつきものなのですが、一方でスペクトラムの便利さに潜む罠に気をつけておく必要がありそうです。
 誰もがうつ病になる。確かにそうかも知れません。しかしやはりうつ病になり易い気質をもった人たちがいるのも確かなのです。この辺りの整理が望まれているのが目下の精神医学の実情ですが、ありがたいことに最近、アロスタテイック負荷が加わり海馬の萎縮等が生じてうつ病が発症するという理論が登場してきています。この理論は人格-反応-症状という図式を踏襲しているが故にとても収まりがいいように思え、この方向での研究は期待できそうです。
アルブレヒト デューラー  メランコリー(1514)

 この文章を書きながら、もしかしたらアンサング ヒーローと言える人たちの大部分が、狡さを知らない純粋さと不器用さのために上手に立ち回れないアスペルガー症候群を持っているのかも知れないということ、そして彼らの真摯な成果を「鳶が油揚げを攫うように」世知に長けた人たちが攫っていく様を、思い描いていました。不条理とはこのことか、と。
 やや専門的な内容となり、読み苦しさがあったやも知れません。福岡伸一さんの文章から受けた感動をただ紹介するつもりだったのですが、あらぬ流れとなりました。ご寛恕ください。

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