コラム14

我的北京、メラヴィリア、Revnant(ウオータベイジン     ルヴナン)

 飛行機はソウルを下に見ながら黄海に入り、渤海から大陸に降りたちました。大陸は黄土色一色で、河は干上がっていて、ただ黄土色の大地に蛇のように曲がりくねった窪んだ線を刻んでいるだけでした。水という水は見当たらなく、また緑の木々も殆ど点在しているだけで、荒涼としたという表現がぴったりの光景でした。それでも日干し煉瓦で造られた家が少しずつ増えてくるにつれて、小さな池の青や木々緑が目につくようにはなりました。オリンピックを控えた北京は水の確保が非常に大変なんだとテレビが放映していました。降雨は6月から9月に纏まっていて11月から3月までは殆ど降雨はなく、もちろん雪も降らないようです。首都北京のために周辺の山間部にはダムを作り、そのダムの水をそこに住まう住民は一滴たりとも使うことができず、当然農業ができなくなり、生活の糧をうしなっている。そうすると、飲料水にも事欠き、水をこっそりくすねるものは水泥棒として罰を受けるようです。年と農村という構図があまりにもくっきりと水をめぐった利権に現れています。飛行機は黄砂で視界をさえぎられながら、北京首都国際空港に降りていきました。だだ広い砂漠の中に造られた滑走路。建設中の第3ターミナルビルの巨大さが、オリンピックが近いことをおしえてくれます。
    
   

無味乾燥というのはこのことを言うのか、と。
 空港から北京市内まで27kmバスで1時間弱の道のりです。北の万里の長城を背に南下して市街に向かいます。勿論長城は現在では観光スポットとしての機能しかなく、町は環状4号線によって、そしてその内側の地下鉄2号線によって外部と隔てられ、外部から守られている様相です。金、元、明、清時代の首都だった訳ですから、街そのものは東西南北を碁盤の目状に道路によって区切られています。街の中心を鎮座増しますという格好で故宮が占領しています。故宮に手を加える訳にはゆかず住宅街を成す高層マンションは街の外部に、環状4号線より外側に建てられていて、今まさに建築ラッシュです。
 オリンピック関連の施設も勿論同じ運命にあります。故宮であるがゆえに、したがって、北京中心部は意外と歴史そのままに留まっている感があります。正陽門(前門)から天安門までの天安門広場の広大さ、さらに天安門から午門を抜けて漸く辿り着く故宮までの道のり。また故宮からそのものの余りの広さ。これには度肝を抜かされました。あの天安門事件の映像でしか知らないのですが、光景が迫真性を帯びて目の前に描き出されました。あの中国民衆のエネルギーはこの広さと歴史が生み出していたのだ、と。しかし一方で時代の権力者たちの凄さを痛感しました。あの西太后は死後も尚、構成の人々の税金や人力を吸い上げてこの故宮をいじしているのだ、と。だが、黄文雄氏が『文明の自殺』で述べるように、アヘン戦争の後のここ150年間、中国の国是国策、また運動、改革、革命は、ほとんどが自文明を法擲する『文明の自殺』の性格を持っている。しかもそれは過激にして徹底的だ、という側面はあるのでしょう。天安門事件しかりなのです。故宮の休憩所兼売店ですら、国宝級の美術品を叩き売りしていたのには驚きでした(中国歴史資料館では決まって目にする光景なのですが)。


        


 目的地への路に迷い込んで運良く予定外の老北京(ヤオペイジン)を歩く羽目になりました。道端には名も知らぬ魚介類や野菜が並び、店頭には日に焼けた女性が腕組みして立っていました。胡同(フートン)の民家の軒先には椅子を並べて老人たちが座って大声でおしゃべりをしていました。片足のない人、目が見えないのかあらぬ方を向いている人、通り過ぎる私達を指差しながら、何か呼びかけてきます。「不要、不要(ブーヤオ、ブーヤオ)!」と応えるのがやっとでした。通り過ぎてしまえば、いかにも中国的な雰囲気で、得した気分でした。目的地だった工芸品の居並ぶ界隈は余りにも造られ過ぎていて、そこに中国を感じることはできませんでした。それにしてもこういった光景は日本ではみられなくなったものです。須賀敦子さんは『塩一トンの読書』の中で、フェデリコ・フェリーニの映画『アマルコルド』と『道』に触れて、「イタリア人がなによりも大切にする、メラヴィリア、自分にはとてもできない、とてもなれない、ある意味では常軌を逸した、芽をみはらせるようなできごとやものごとや人たちへの、驚嘆と尊敬の交錯する精神が深く根をはっている」とフェリーニの映画を絶賛しています。メラビリア、良きにつけ悪しきにつけ私たちには到底到達不能なもの。それを通して知らずに私達は自分のこの世界でのポジショニングをしているのかも知れません。確かに『道』のジェルソミーナはもとより、目の見えない街角の楽師や小人の修道女、それに精神に障害を持った人物が登場します。決して暗く、陰鬱ではなく、イタリアで気で描き出されます。懐の深さといったものを感じさせるのがフェリーニの映画なのです。思えばイタリアこそがアメリカに先立ち、精神病院改革を真っ先に成し遂げた国なのです。
 私はずっと日本人の、and/or 日本という国のきれい好きが気になっていました。テレビコマーシャルは日本人の清潔志向に拍車をかけ、「きれい、きれい」と訴えては、汚いものを排除しようとしています。汚いもの気持ちの悪いもの(そもそも吐き気は「器官言語」であって心理的な嫌悪感を同時に意味しています。独語の Ekel 英語の disgust もしかりであって、きわめて普遍性の高い心身両義性を示す言葉なのです。)は、排除されがちな傾向にあります。街はきれいになり場末の薄汚れた店は消えていきます。大宮駅周辺は禁煙区域となり、灰皿も、ゴミ箱も撤去されました。あれらの汚いものは何処に言ったのでしょうか?私は禁煙運動に反対している訳ではありません。しかし街をきれいにすることの意味をもう少し考えて欲しいのです。ホームレスを街か追放しても、ホームレスでなくなる訳ではないのです。汚いものは何処にいくのでしょうか排除しても汚いものは消える訳ではありません。誰かが処分するし、何処かに追いやられるし、誰かがそれを受け止めて抱えきれなくなっているのです。本来私たちには汚いもの、不要なものを処分し、片付ける力が備わっていた筈です。私達が汚いものに触れなくなるにつれ、その機能は退化しています。その時何が生じるのでしょうか?仏語 reveni r は venir 来るから派生して、再びやってくるという意味です。その現在分詞 revenant には「お化け」という意味があります。私たちが排除したものは再び「お化け」としてやってくるのです。ジャック・ラカン(フランスの精神分析家)は妄想の成立過程を説明して、「排除 (forclusion) したものの回帰」を取り上げています。私たちが排除したものは「お化け」として私たちにいずれは襲い掛かって来るのでしょうか?
 美馬達哉氏の『<病>のスペクタル』(人文書院)を評して香山リカ氏が、「健康はなくてはならないもので、少しでも健康でない状態は病気という悪であり、そしてその病気は医療の進歩や社会の努力で完全に治療や予防ができるはずだ、といった一連の発想」と、昨今の言説の背景に潜む意図や決めつけについての警告を発しています。私も賛成です。極論に傾きすぎているとのお叱りを受けるかも知れませんが、健康であることは病を排除することではなく、病との共存なのです。病んでいるからこそ健康なのです。病をもつことでより健康な生き方ができるといった発想なのでしょうか?病を排除することこそが病気であって、健康であることは病を併せ持つことといった意味合いなのでしょうか?治るとはどういったことなのかをもう一度考えてみたいものです。手元にないので正確ではないのですが、大江健三郎氏は朝日新聞のコラムでフランスの海洋探検家クストー艦長の「多様なものが共に生きる場合には生き残る可能性が大きい」という言葉を取り上げていました。この大江氏の視点は正鵠を射ているだろう、と思います。人間だけが生き残るということは不可能なのでしょう。私も決して好きではないのですが、ゲジゲジやミミズ、カエル、ヘビといった生き物も存在し続ける必要がありそうです。ノアの箱舟には是非ともありとあらゆる生き物を乗せて欲しいものです。その意味では地球そのものが既にノアの箱舟なのかも知れません。

                                                  2007年初夏


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