コラム 18

カンパニュラの恋  

 「木立の間に細い月が懸って梢や枝を影絵のように黒ずませていたから、河はただ河明りによってそれと知られるだけだった。僕はしかし河の音がひっきりなしに聞こえて来るのを、いまいまいし気持ちで耳にしながら、その方向を見定めていた。夜はもう晩く、町は寝しずまって、聞こえて来るのは河音ばかり、月があっても此所からは水の表に反射する月の光を見ることが出来なかった。」

 これは大林宣彦さんによって映画化されたことのある福永武彦作『廃市』の冒頭です。2008年12月5日、加藤周一さんが89歳で亡くなりました。加藤さんは東大医学部を卒業し、血液学を専攻する医師でした。その一方で1942年、中村真一郎さん、福永武彦さんたちと「マチネ・ポエテイック」を結成し、新しい詩の運動を始めました。『1946・文学的考察』でその運動は注目を集めました。その後マチネに参集していたそれぞれは、それぞれの分野で活躍し、日本の文化を引っ張ってきました。映画『モスラ』を手がけたのも彼等です。加藤さんは評論家として、日本の雑種性を前面に押し出して幾多の評論を生み出し続け、世界に発信してきました。「知の巨星」と井上ひさしさんは呼んでいますが、正にその通りで、世界と対等に、文化・政治面で活動を続けてきました。『羊の歌(正・続)』(岩波新書)、『日本文学史序説』、『山中人カン話』(福武書店)、『私にとっての20世紀』(岩波書店)などの著作が多数あり、正に戦後の日本を牽引してきた人です。お世話になりました。加藤さんはかつて麻薬の蔓延にふれて、「私は麻薬を必要としない。薬に頼らなくてもこの世界は十分に楽しめる」と記していました。加藤さんはこの世を十分に楽しんだ人です。中村真一郎さんは評論家・作家で主にフランス文学と日本の古典文学に造詣が深いのですが、彼の文学に関する知識は喩えようがありません。プルースト。ネルヴァルばりの小説をずっと書いてきましたが、『四季』『夏』『秋』『冬』(新潮社)の四部作は、中村さんの最高傑作です。この三人の中で一番早く亡くなったのは福永さんでした1979年のことです。福永さんの死に際して、中村さんは「仕事をする以外に一体何ができると言うのか」みたいなことを書いていました。その中村さんは1997年に亡くなっています。確かに死にゆく人を前に、私たちに何が出来るというのでしょうか?悲しみを日常の中で受け入れていくしかないのでしょう。元気に仕事をしている姿を見せることが最高の弔いなのかも知れません。私はマチネの三人の中では福永武彦さんが一番好きで、文学・芸術に関しては最大の影響を受けていると思っています。加藤さんが1919年生まれ、中村さん、福永さんが1918年生まれです。因みに既に亡くなっている私の父は加藤さんと同じ1919年生まれです。私にとっては彼らは両親と同世代であり、第二の父といってもいいのかも知れません。

 カンパニュラ

 2009年の始まりに何故こんな訃報を連ねるのか? と皆さんは思われるかも知れません。先回のコラムは北京オリンピックと暴走する資本主義がテーマでした。思うに、この二つは20世紀の終焉の象徴の観があります。多分20世紀型のオリンピックは北京が最後でしょう。そして昨年のアメリカ、サブプライムローンから始まった経済危機は、世界の政治を揺り動かし始めているし、また政治が変わらざるを得ない局面を作り上げています。私には、今年は変革の年と思えるのです。それは政治だけに委ねることではなく、私たちの意識においても変革が必要とされているように思えるのです。よってこの文章を書いています。

 フジテレビ開局50周年で「風のガーデン」を放映していました。倉本聡さんのこのドラマは見ごたえがありました。主人公が誰ではなく、祖父、父、娘、息子の家族が主人公の物語といってもいいでしょう。浮気癖のある父親は妻の臨終に居合わせることができず、その父である祖父から勘当されます。在宅での緩和ケアに勤しむ祖父が孫二人を育てることになり、成長した孫たちが風のガーデンを切り盛りしています。女ざかりを迎えた娘(ルイ)と発達障害を持つ息子(ガク)の描き方は見事です。父親は東京の大学で麻酔科医をしていますが、自らが膵臓癌を患っていて、余命幾ばくもないことを知ります。父は生まれ故郷の富良野に、子どもたちの姿を求めて、自分の患者から受け継いだキャンピングカーで向かいます。風のガーデンで働く子どもたち(ルイとガク)と少しづつ心を通わしていきます。時間が取り戻されるかのように流れていきますが、結局は父の病勢が勝ります。祖父は父と和解し、自分の家に、つまりは父が子ども時代を過ごした家に、父を引き取ります。祖父と娘ルイに看取られて父は息を引き取ります。平原綾香さんの歌う「カンパニュラの恋」が挿入されていて、このドラマを彩っていました。祖父を緒方拳さんが熱演していました。緒方さんはこの番組収録終了の3日後、確か10月5日に亡くなられました。名優を失いました。太閤記のあの迫力から、晩年の味わい深い演技と、語り継がれる役者でしょう。

 「1945年4月、ぼくの父母は、空襲で混乱した東京を離れて、帯広に疎開した。最初は(祖父の勤めていたマッチ工場の)社宅に同居して(そこでぼくが生まれ)……。後に父は帯広中学(現柏葉高校)の英語の教師になったが、やがて結核にかかり、帯広の療養所を経て、結局は東京清瀬のサナトリウムに移った。母もそれに同行して上京した。その結果、ぼくは二歳の時から祖父母と叔母に育てられることになった。父は作家になり、いくつかの作品を帯広で書いたけれども、暗くて寒くて淋しいその印象はぼくが知っている帯広とはまるで違う。」これは池澤夏樹さんの『池澤夏樹の旅地図』からの引用です。ご存知のように、池澤さんは福永さんの実の息子です。福永さんはエッセイのなかで「夏樹が長編小説を書き始めたようだ」という一文を記していました。おそらく池澤さんまだ10代の頃のことでしょう。池澤さんは埼玉大学理工学部を中退し、もの書きの世界に入っていきます。1988年に『ステイル・ライフ』で第98回芥川賞を受賞しています。その豊富な読書量と世界各地を旅したり、移り住んだりという行動派的なスタイルから、今や国際的な作家となっています。池澤さんは、以前のコラムで取り上げた須賀敦子さ

んの友人であり、早くからその評価を下していた人でもあります。その点では中井久夫先生とも通じています。池澤さんは須賀さんへの弔辞を読んだその人なのですが、弔辞について次のようなことを言っています。弔辞の弔は「人」と「弓」からなっている。屍を野において、その周囲に立つ者が弓を携えて鳥獣の害を防いだことから、かかる文字が作られた、と。「逝った者を、残った者はきちんと送らなければならない。死を認めること、たとえいやいやながらでも死をしっかりと受け入れること、それが生の意味を正しく理解し、死者をその場に葬って、先へ進むことであるから。残された者は弓を手に立ちあがらなければならないのだ。」


           ウインター・コスモス                   


「風のガーデン」では中井貴一さん演じる傷ついた息子(父)は、子どもたちを求めて富良野に戻ります。しかし同時にその行為は父(緒方拳さん演じる祖父)との和解を求めてのものではなかったのか? 往年の名男優佐田啓二さんの息子である中井貴一さんが演じたのは的確だったし、また中井さんの演技も迫真的でとても良かったです。緒方拳さんの遺志は息子である緒方直人さんに受け継がれていくのでしょう。佐田さんから中井さんへ受け継がれたように。また我が愛する福永さんの思いは違った形で池澤さんに引き継がれています。父と息子について思いを巡らせて来ていますが、これは父と子、親と子、逝く者と残された者に共通することのように思います。
庭先に紅葉の種が舞い降りてきました。よく見ると種の羽根の部分が傷ついていました。傷ついた種は風に乗って遠くには飛ぶことができず、親木の根元に残るんだなと不図思いました。


  ♪♪「Love true loveいつか 私が愛した あなたの声を 忘れられる日はくるの?
     My love この胸に あなたが住んでしまったから きっとどれだけ季節が廻ったとしても 」
 平原綾香さんの『カンパニュラの恋』が流れています。


 遅ればせながら20世紀が終わりました。少なくとも僕にとっての20世紀は加藤周一さんの死とともに終わったように思えるのです。既に世界恐慌の嵐が吹き荒れています。「100年に一度の不況」と呼ばれたりしています。しかしそう名付けたとして何になるのでしょう? 20世紀は死んだのだ、という認識からしか始まらないような気がするのです。「神は死んだ」と高らかに唱えたニーチェに倣って、「20世紀は死んだ」と。私が20世紀から受け継いだものを携えながら、この新しい世紀を切り開いていくしかないのです。恐らく、そうして過去の人々も皆、過去を背負いながら過去と決別しつつ、新しい時代を生きていたのでしょうから。今が特別なのだという発想は違うように思うのです。いつもいつも私たちを取り巻く環境は激動に満ち満ちているように思えるのです。勿論環境は優しくもある筈ですが…。池澤さんは、福永さんが見た暗い帯広を希望に満ちて見ていました。「100年に一度の不況」と見てしまうのではなく、今こそが始まりなのだ、と。


筑紫哲也さんの死も同じ文脈で捉えていました。
この「コラム」は、丸一年の闘病生活の末に先日亡くなった無二の親友への弔辞として書き綴りました。友の闘病に添うてきたつもりではありますが、至らなさばかりが悔やまれます。冥福を祈って…。    (2009年1月  記)

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